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幸運のお裾分け

 その時のことは、8月21日(土)の日記の参照を。その後のことを。

 事故のあと、なかなか発車しなかった救急車を見送り、警察による簡単な聴取を受けた。交通量はかなりあったのだが、現場にいちばん近かった対向車はすべて走り去り、ぶつかった瞬間を見ていたのは私 だけだったのだ。
 空腹感は感じていなかったのだけど、気持ちを抑えるために未だだった夕食を近くで簡単に。その後、食事をしながら思い巡らした原因とか、避け切れなかったかという思いでもう一度生々しい血痕が残る現場に立寄ってからその日は帰宅した。

 翌日の日曜日、管轄の消防署へ。彼の名前も事故現場も発生時刻も正確に分かっていたため、搬送先の病院はすぐに分かった。ケガが軽くて近所の救急病院に運び込まれたと思いたかったが、残念ながら埼玉でいちばん高度医療のできる病院。ちょっとだけ不安。
 その足で、再び事故現場を対向車線側から通りかかり、まだ残る血痕やチョークの跡を横目に病院へ。

 巨大な病院で彼の所在を見つけるのは手間取り、まだ救急科にいるということで不安増大。しかし・・・
 救急科で尋ねて、返ってきた言葉は意外なもの。数針縫ったものの、頭や骨などに異常は無く、すでに帰宅したとのこと。頭から車に大きな音で衝突したのは確かだし、はね飛ばされて体がヒラヒラと宙に舞ったのも確か。
 翌日も消毒のために来院するということで、手紙で言付けようとしたけど通院者には不可能。この時点で、この話は終わっても良かった。

 数年前に私自身が大ケガをして入院したとき、現場にいた仲間に見舞いに来て欲しかった。自分に起こったことを客観的に説明して欲しかった、なぜそうならなければならなかったのかを。しかし、気を遣ってくれたのかもしれないけど、それは叶わなかった。だから、何が起こったのかを見ていなかった彼の母親に、そして記憶が飛んでいるだろう本人に、一部始終を伝えなければならないと思った。
 それに私 は、大きな音とともに宙に舞った彼、血まみれで苦しむ彼しか見ていない。私 自身もショックを受けている。本当に大丈夫なら、そんな彼に会いたいと思った。

 月曜日に警察署へ行き、火曜日の朝には担当の警官に連絡が取れた。ちょうどその日に彼の調書を取るということで、私の名前や連絡先を伝えてもらうことに。その日の夕方には母親から連絡があり、今日、彼とともに会うことになった。他に救助をした人がいてその人たちのことについても聞かれたが、2組いたことしか私には答えられなかった。

 そして今日、雨が激しく降っていたので、近所のファミリーレストランで会うことになった。事故現場までは数km離れているのだが、彼の住んでいるところは私の自宅から歩いて行けるほど近かった。待ち合わせの目印は彼の頭の包帯だったが、実は二、三日前に取れていてダミーだった。
 まだ痛がっているかとか、ショックを受けてはいないかなどと考えていたのだが、そんな心配は無用だった。彼は元気に食事中で、すでに他人なら「うるさいな」と思うような、はしゃぐ少年だった。とてもいい笑顔で、最初からペラペラと話しかけてくる、とてもフレンドリーな少年だった。
 一緒にいた二つ上の兄は、当初はかつてないほど優しく弟に接していたそうだが、以前のように一緒に遊び、ケンカもしている。それだけ回復したということだ。ショックなど微塵も感じられない、思っていたより何百倍も元気だった。

 あの日親子は、めったに使わないスーパーマーケットで買い物をしていた。まず兄のほうが別の店に行ったので、母親は彼に呼んでくるように言ったそうだ。そこで店を飛び出し、交差点を青信号でローソンに向かったのだが、すぐに間違いに気づき、急いで戻ろうとしたらしい。帰りは横断歩道を通らず、確認もせずに走り抜けようとしたのは、「しまった、早くぼどらなきゃ」という気持ちがさせたのかもしれない。
 救急車に乗ってから、病院に着くまでには彼は眠ってしまったそうだ。衝突した場所はやはり左側頭部で、4針縫ったそうだ。他に着地したときに負ったと思われる背中の擦り傷と足の打撲。脳の異常や骨折もなく、翌朝退院。歩けなかったのは二、三日だけで、一週間経った現在でもムチ打ちの症状など無く、夏休み明けは通院先を近所に換え、予定通り新学期を迎えられそうとのこと。
 彼は、やはり事故のことは覚えておらず、救急車に乗って落ち着いたところで「僕はなぜここにいるの?」と聞いてたそうだ。警察からの聴取など経て、自分が悪かったことも知り、母親に謝りもしたそうだ。しかしそれも痛みがあるうちだけで、今は元の活発な少年に。
 事故を母親に知らせたとき、ちょうどスーパーマーケットで会計を終えたところ。買ったものをそのまま残してきたけど、店員が冷蔵庫に入れるべきものは入れてちゃんと取っておいてくれたそうだ。

 躾のこととか、ドライバーのこととか言いたかったことはグッと堪え、事故の一部始終と、当事者が私でも避け切れなかったかもと伝えた。母親は、とにかく礼を言いたかったようだった。
 大人の会話の中では男の子二人が収集つかなくなるのは明白で、それでも一時間半ほど時間を取れた。

 夕方、別の用の帰りに事故現場の交差点を、今度は事故車と同じように右折した。見通しの良い交差点でも唯一、信号待ちの車の向こう側が死角になることが分かった。ここに右後方から駆け込まれたら、気づくのが遅れて避け切れない。今回のことで、いろんな教訓を得た。

(写真:左が当人、右はその兄)
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by Hiko_23 | 2004-08-29 23:59 | 日記